021-夫。

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車で国道を走っていると見えるホテルだった。
少し前にリニューアルして、綺麗になったのだけは知っていた。
いつか二人で来られたらなぁ、と思っていた場所だった。

今夜、それがかなった。

「どうする?休憩か、泊まりか?」
夫に聞かれ、改めて考える。

家が近いのに泊まるのももったいないし。
明日こそはちゃんと仕事行かないとまずいし。
ちょっと二人で話し合ってくると娘に言った手前、当然心配して待っているだろうし。

結局、休憩にした。

柔らかい照明の落ち着く部屋だった。

夫は一連の騒ぎで疲れ果てていたのだろう。
お風呂にお湯を入れ始め、さっさとバスルームに行ってしまう。

そんな夫に軽く失望する。
私達が18年ぶりにセックスする、特別な日じゃないの?
抱きしめてキスするとか、優しく服を脱がせるとか。
心の中でちょっとだけ期待していた。
まぁ、そんな洒落た真似の出来る夫なら、そもそもこんな苦労なんてなかったけどね。

私は心の中でつぶやく。

なんとなくだけど、夫は早く義務をはたして帰ろうとしているように思えた。
そんなつもりはなかったかもしれないけど、乗り気な感じではない。
半狂乱の私に、無理矢理つきあわされたみたいな。

気持ちが沈んでくる。

長い間の願いがかなうけど、その過程があまりにも壮絶過ぎて。
決して夫から求められてここにいるわけじゃあない。

でも気を取り直し、私もバスルームに行く。

改めて間近に見る夫の身体は、記憶の中よりもだいぶ歳をとっていた。
家の中では、なぜだろう?今までまじまじとみることを無意識に避けていた。
多分、私は夫の身体も好きでたまらなかったから、ちゃんと見られなかったんだろう。
ひとつ屋根の下に暮らす夫婦なのに、触れられないものなのがわかってたから。

向き合って、夫にくっつく。
あれこれ考えていたけど、こうして身体を密着させるだけで、とてつもなく幸せだった。

「ダメかもしれないけど」
申し訳なさそうに夫が言う。
「それでもかまわないよ」
そう、私は本当に行為そのものは、どっちでも良かった。

ベッドに移る。

わかったのは、私達はあまりにもセックスをしなすぎていた、ということ。
二人とも笑っちゃうくらい勝手を忘れている。
いまどきの高校生のほうがよっぽどうまく出来るだろう。
そして夫は、もともとセックスが好きでないと言い切る人だ。

なんとかしようとあせるうちに、時間だけが過ぎてゆく。
夫は萎えてしまったようだ。

けど、私は夫とこうして触れ合えただけで嬉しかった。
世界で一番好きな夫の肌に触れて、体温を感じられるだけで良かった。
本当に。

だけど、男の人にとってはそうじゃないんだろうな。
かえって自信を喪失させてしまったかもしれない。

気まずいまま、所在なくTVなんかに頼ってしまう。
二人でぼんやり画面を眺めて無駄に時間が過ぎてゆく。

夫は何も言わない。

思い切って私は提案してみる。

「私が上になるから指でして」
今まで私からそんなこと、もちろん言ったことはない。
でも、このまま帰るのだけは嫌だった。

夫も同意してくれた。

私の中に夫の太くて無骨な指が入る。
あますところなく感じようと、私は身体を動かす。

感じる。
大好きな大好きな夫の指。
それが私の身体の奥に当たっている。
嬉しい。
ただ嬉しい。
イケるかもしれない。

夫も言う。
「元気になってきた」

〈私達やっとひとつになれるんだ〉
嬉しさが込み上げてきた。

その瞬間電話が鳴った。
本当に狙ったようなタイミングで。
そろそろお時間です。お泊りにされますか、と。
考えてみたら、入ったのも10時をまわっていた。

私達の18年ぶりのセックスは、そこで打ち切られた。

今だから思うけど、泊まりにしていたら、私達はちゃんと最後までいけたろうか。
夫も自信をつけて、また昔のように私に触れてくれるようになったろうか。
セックスっていいな、と思ってくれたろうか。

今ならわかるけど、あれは最後のチャンスだった。
でも、あまりにタイミングが合わなすぎた。

それも神様の配剤だったのか。

けど、わかったことがある。
夫はセックスが似つかわしくない人なんだ。
もっと言えば、セックスという行為は、夫にはふさわしくない。

若い頃は好奇心もあったからしたけど。
でも、彼は本当にセックスが好きじゃないんだ。

わかった。

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020-搬送。

母と娘といつも通りの夕食。
夫は深夜の仕事に備えて寝ていた。

食はあまり進まず、かたずけて台所の丸椅子に腰掛けていた。

突然、息が出来なくなった。

何が起きたか、わからないまま、ゼイゼイと息が荒くなる。

苦しい。

床をはいながら、居間でTVを見ている母と娘に助けを求める。

慌て駆け寄ってきて、背中をさするられる。
でも、呼吸は荒くなる一方だ。

救急車を呼ぶらしい。
母が言っている。
「出来ればサイレンはならさないで。えっ?出来ない?」
娘がぶちキレて叫んでいる。
「そんなことどうでもいいでしょ」

〈こんな時でも、世間体かぁ〉
意識朦朧としながらぼんやり思った。
顔全体がしびれて、どんどん麻痺してゆく。
うまく口がきけない。
騒ぎで夫も部屋から出てきたようだ。

生まれて初めて、救急車に乗る。
名前やら、歳やら聞かれた気がする。

夫は傍らで私の手を握りながら、なんか言っている。
今までにみたことのないような顔をして、私を見つめている。

母は後から車で来るらしい。
必ず連絡するから、家で待ってて、娘に叫んでる。
アサミ、ゴメン。
目の前でこんなになっちゃってゴメン。

くたびれたグレーのTシャツに、はき古したデニムのショートパンツ。
こんな格好で死ぬのは嫌だなぁ、とか考えていた。

近くの総合病院に運ばれた。
訳がわからないうちに、血液検査とCTスキャンをした。

呼吸は大分戻ってきて、痺れも治ってきていた。

若い医者がベッドの脇に立って言う。
「血液もCTも異常は見られません」
「ストレス性の過換気症候群だと思います」

知っている。
過呼吸ってヤツ。
紙袋とかで、直るヤツ。

「簡単に言うと、二酸化炭素を吐きすぎてしまうので」
「袋をあてて、ゆっくり戻してあげるとおさまります」
「初めてだとびっくりされて、救急搬送されてくる方多いですよ」

私の血は《ストレス》という言葉に、逆流した。

昨日以上に、抑えようのない怒りが噴き出してきた。
たいしたことでなかった安堵ではない、とにかく怒りだけが湧きあがってきた。

病院を出るなり、また夫を殴った。
道端で暴れまくった。
端から見たら、気のふれた人にしか見えなかったろう。
けど、そんなことはどうでも良かった。

〈アンタのせいでこんなになっちゃったじゃない〉
〈私の心も身体もぶっこわれちゃったじゃない〉
〈どうしてくれんのよ〉
〈こんなことなら、シュンとすれば良かったんだ〉

頭の中でそんな気持ちがぐじゃぐじゃになって交錯する。

「私を抱いてよ」

地面にべったり座り込んで、泣きながら訴えた。
半分叫んでいたかもしれない。

「わかった」
「今から行こう」

その日の夜。
一旦家に帰ってから。
私達は車でホテルに行った。

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019-涙。

どこにそんな力が残ってたかと思うくらいの勢いで、
私は立ち上がって夫につかみかかっていった。

左手の拳で夫の背中や脇腹を殴る。
右も握りしめて顎を叩く。
体格差もなにも気にならなかった。

眉を吊り上げ、目を見開いて。
口を開いて、歯を剥き出して。
肩、腕、背中、憎しみの力を込めて噛みまくる。
気がふれたケモノのように。

止められなかった。

母は突然の私の様子に恐れをなして、娘を起こして出ていったらしい。

その気配を感じて、私は誰はばかることなく暴れた。
雄叫びあげながら、泣きながら、私は夫を攻撃し続けた。

夫は何も言わず、されるがままになっていた。
そして、私の両手首をつかんで抱き寄せる。
暴れる動物をなだめるように、背中をさすりながらこう言う。

「わかった、ホテル行こう」
「もう少し、あと少しだから」

でも、その言葉は火に油をそそぐ。

「それが出来るなら、なんでもっと早くに言ってくれなかったの?」

「なぜ、こんなになるまで言ってくれなかったの?」

「私はさんざん言ったよね、18年も」

「抱いて、せめて触れてって」

「大好きで、大好きでたまらない貴方と触れ合いたくて」

「でも我慢して」

「私の身体が欠陥品だからしてもらえないんだ、と言い聞かせて」

「それこそ何百回も自分に言い聞かせて、納得させて」

「そしたら、そしたらこんなになっちゃったじゃない?」

顔中ぐしゃぐしゃになりながら、泣き続けた。

けど、言いたいことをマシンガンのように吐いたら、体中の力が少し抜けた。

18年言えなかった思いを全部吐き出して、楽にもなっていた。

このまま抱いて欲しい。
一緒、そんな気持ちも頭をかすめた。

でも、こんなぐちゃぐちゃな顔じゃあ嫌だ。
もっと綺麗にお化粧もして。
新しいワンピースを着て、待ち合わせして。

やっと世界中で一番好きな人と抱き合えるのに。

頭が混乱しすぎて、何がしたいのかすら、良くわからなくなっていた。

夫のTシャツを脱がせた。
私も脱ぎすてた。

両手を夫の身体にまわして、顔を胸に埋めた。
上半身だけ裸のまんま、夫に抱き着いて私はいつまでも泣き続けた。
夫の匂いが、夫の体温が心地好かった。

こんなに泣いたのは、いくつの時以来だろう。

顔が変わるほど泣きつかれて、私はやっと眠りについた。

夜は気まずい夕飯の時間だった。

母は腫れ物に触るかのように黙ってるし。
普段、無口な娘はやけに饒舌だし。
夫は、そんな空気をただそうといつになく気を使ってるし。

私が家族のバランス壊したんだなぁ。
昨日まで、なんとかやってきたつもりだったのになぁ。

でも、どこか自暴自棄な気持ちもあった。
せいせいしていた。
母はこの家の王様だったから。
遠慮とか、気遣いとか、おおよそ無縁な人だったから。

夫とも正面きって向き合っていなかったかもしれない。
出会って25年もたつ夫婦なのに、遠慮があった。
私の母と同居してもらってるから?
深夜の仕事が大変そうだったから?

翌日、大丈夫そうなので仕事に行ってみた。
でも、昨日と全く同じ状態で、いくらもしないうちに立てなくなった。

二日も続けて早退なんて、今までしたことない。
情けないし、何より皆に申し訳ない。

昨日同様、迎えに来てもらうよう電話を入れる。

車の中で母に切り出す。
言葉を選んで。

「更年期かもしれないし、自律神経かもしれない」
「ただ、少し前から家に近づくと頭がモヤモヤする」
「悪いけど、今日もちょっとゆっくり寝たいんだ」

さすがにその日は、母は私を送ると、
その足でどこかに出かけてくれた。

お昼過ぎ、夫がいる。
顔を見ただけで気が抜けて、涙が出てくる。

「私はいったいどうしちゃったんだろ?」
「今日も早退して、またみんなに迷惑かけちゃった」
「私が家族をぶっこわしたかもしれない」
「みんな、私のせいだ」

昨日はせいせいしていたのに、今日はただただ自分を責める。

夫が私の目を見て言う。
「お前はなんにも悪くない」

また涙が出てきた。
ハラハラ、という言葉がピッタリの涙がいくらでも溢れてくる。
泣いていいのが無性に気持ち良かった。

夫は余計なことは言わずに、手を握っていてくれる。

癒されてる。
今までにないくらい、気持ちが落ち着く。

でも、母が帰ってきた気配で慌てつないでいた手を離す。

その夜、救急車で運ばれた。
突然、息が出来なくなった。

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018-咆哮。

翌日シュンがメールをくれた。

《昨日ミオコはしたかったみたいだけど、
僕はもう一回きちんと話してからって思ってた》
《だから、拒絶とかしたわけじゃないからね》
《けど、人生最後のセックスは、やっぱり旦那とじゃないとね》

シュンらしい、気遣いにあふれたメールだった。

そうなんだよね。
私と夫はこの数ヶ月で、少しだけど前にすすめた。
もっともっと時間をかけていけば、いつか何十年後か、
つたないけど気持ち通いあったセックスが出来るかもしれない。
今のぎくしゃくした関係を、そんなこともあったね、と笑いながら。

それから二日後、突然立っていられなくなった。

いつものように仕事に行ったけど、どうにも身体がだるかった。
力がまるで入らなくて、しゃがんだらすぐには立ちがれない。
頭もハッキリしない。
呼吸もうまく出来ない。

私の身体はどうしちゃったの?
職場の皆に謝って、早退させてもらった。

とにかく全身がだるくて歩くのが辛い。
手近にあるものにつかまりながら、いつもの何倍もかけて駅に着く。
母に最寄駅まで来てもらうように電話を入れ、電車の座席に倒れ込む。

何が起きたの?
病気ひとつしたことのない身体なのに?

やっぱり更年期なんだろうか?
今日は無理でも、明日病院行ってみないと。

迎えに来てくれた母に頼む。

「悪いんだけど、ゆっくり横になりたいから、ウチあけてくれる?」

今の時間、夫は自分の部屋でTVを見てるだろうし、
娘も夏休みでのんびり寝ているだろう。
あとの3部屋が仕切りのない我が家では、私の寝ている視界に母が入る。
母のつけるTVの音も、母があれこれ動く音も聞こえる。
それだけは嫌だった。
何も音のないところで、ただただ昏々とねむりたかった。

「いいよ、どっかちょっと出掛けてくるわ」

それを聞いて心底安堵した。

夫と二人きりになって、何もかもぶちまけて泣きたかった。
母や娘の目を気にすることなく、抱きしめてもらってただ泣きたかった。
すれ違いの私達は、ゆっくり話せる時間があまりにも少ない。

今年の夏はおかし過ぎる。
私が私でなくなってしまった。

毎晩溢れ出してくる抑え切れない性欲。
夜中に何度も目が覚めて、なかなか寝付けない。
考えてみたら、もう二ヶ月近くになる。

やっと家に帰りついた私は、まだ良く立てない。

〈夫に泣きつきたい〉
〈抱きしめてもらって、胸のうちを全部ぶちまけたい〉
〈それより、早く横になりたい〉
〈お願いだから、早く出ていって〉

けど、母はなかなか出掛けようとしない。
それどころか、台所で何かを作り始めようとさえしている。
多分、早めに夕飯の支度をしてから出掛けようとしているんだろう。

それはわかる。
あなたが思い立ったら止まらない人なのも、
あなたが空気を読めない人なのも、誰よりもわかってる。
でも、一刻も早く出ていって。
私を夫と二人にさせて。

耐え切れずに、夫の名前を呼ぶ。

私は、台所に続く冷蔵庫の前にぐったりと座り込んでいた。
奥の部屋から出てきた夫は所在なさそうに立ち尽くしている。

「どっか外行って二人で話そう」
「いいよ」
夫は私のただならない状態に初めて気づく。

でもどこに?
近くには喫茶店もない。
外?
この炎天下に?
この家には私と夫が、ゆっくり話せる場所もないの?

もう、こうして座ってるのも辛いんだよ。
でも、貴方に抱きしめてもらったら楽になれる気もするんだよ。
でも。

「やっぱりいい」
そういう私を心配げに見ながら、夫は部屋に帰ろうとした。

顔をあげると、まだ出掛けようとしない母が、揚げ物の鍋を火にかけていた。

見た瞬間、私は両手で頭を掻きむしっていた。

49年出したことのない叫び声をあげて。

気がついたら夫につかみかかっていた。

ケモノのように吠えながら、拳を揚げて殴りかかっていた。

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017-予兆。

去年の夏の馬鹿みたいな熱さを覚えている。
今年のように節電も叫ばれてなくて、至るところがキンキンに冷やされていた。

私は年々冷房に弱くなっている。
頭も痛いし、長い時間だと身体全体がだるくなってくる。
けど、職場も通勤電車も、そして家も目一杯冷やされていた。

私の母親は太っていて暑がりだ。

「お母さんて、どんな人?」
誰かに聞かれると、私はこう答えることにしている。
「同じクラスだったら、距離をおいた人」

母親のおかげで、帰りの遅いフルタイムの仕事もしてこられた。
元気で車も運転するし、電話一本で迎えにも来てくれる。
年金から生活費も出してもらって、経済的にも助かっている。
他に兄弟はいるけれど、娘や孫と暮らすのが一番良いだろうと、
父が亡くなったあとの十数年前から、私達はひとつ屋根の下にくらしている。

シュンに会うお盆開けを待ちながら、私はごく普通に仕事をこなしていた。

けど、何故だか最近、我が家が近づくにつれて、頭がモヤモヤする。
急に足どりが重たくなる。
一刻も早く帰りたいはずの、自分のウチなのに。

〈冷房で調子悪くなってるのかな〉

家に帰って言ってみる。
「温度ちょっと上げてくれない?」

けど、母は決まってこう言う。
「あんたは職場涼しいだろうけど、こっちは暑くてたまんないよ」
「寒けりゃ、なんか着な」

私は長袖のパーカーをはおり、厚いソックスをはく。
仕切りを取り払った我が家は、どの部屋も万遍なく冷やされている。
台所の流しの前が冷房から一番遠い。
そこで丸椅子に座って、グラスを傾けながらタバコを吸う。
家の中で、一番落ち着く場所。

母が夜更けまでつけているTVの音が聞こえるところでは、よく眠れない。
TVが消えても、うわごとやイビキのひどい母の近くでは眠れない。
夜中近くまで、夫が起きてベッドが開くのをじっと待つ。
早く身体を横たえたいけど、夫が起きる時間をただひたすら待つ。

壁にかけられた時計の針を、何回も何回も見る。

相変わらず頭のもやが晴れない。

待ちに待ったシュンと会う日。
正直、私は気持ちが固まっていなかった。
このままゴーか、Uターンか。
でも。

相変わらずシュンは快活で優しい。
「やぁ、元気にしてた?」
何事もなかったかのように、笑顔を見せてくれる。
とんでもないメールばかり送っていたことが、改めて恥ずかしくなる。

お祭りの一件やら、ホスト君との一夜やら、笑いも交えてすべて話した。
シュンは、一言も逃さぬかのように、聞きいってくれる。
けど、私は話しながらも落ち着かない。

〈今日はこのあとホテルに行くの?〉
〈シュンは、どういうつもりなの?〉
〈私は、どうしたいの?〉

彼に抱いてほしい気持ちは、完全におさまってはいなかった。
心のどこかで、シュンが「じゃ、行こうか」と言ってくれるのを待っていた。

けれど、彼は席を立たない。
この前のように会話が弾まない。

私はぼんやり夫のことを考えていた。
昨日の夜、玄関まで見送った私の頭をポンポンとなでてくれた。
恥ずかしそうに肩を抱き寄せてくれた。
角を曲がるとき、いつものように振り返ってくれた。
こんなときに限って、ひとつひとつを鮮明に思い出す。

やがて、シュンがレシートを手に立ち上がる。
〈じゃ、エッチは次に会ったときにね〉

聞いた瞬間、決着がついて力が抜けた。
「次」はなかったから。
私にとっては「今日」しかなかったから。

やっぱりシュンとはしちゃいけない。
セックスする相手はネットで簡単に探せるかもしれないけど、
「特別な友達」は一生ネットの中を泳いでみてもみつからない。
急速に頭が冷やされる。

家まで送ってもらう助手席で、シュンに言う。

「あのね、やっぱり次はなくってもいいや」

シュンはどう思ったろう?
曲がり角を間違えて、車は少し先まで走った。

「おまえが、ヘンなこと言い出すから、ウィンカー出し損ねたじゃないか」

シュンが笑って言う。

「ゴメン」

〈これで良かったんだ〉
〈これで間違ってなかったんだ〉

シュンと別れたあとの足どりは、やけに軽かった。
自分の決断は間違っていない、そう思っていた。

少なくともそう信じていた。
そのときは。


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016-逡巡。

今思えば、シュンにはずいぶん支離滅裂なメールばかり送っていた。

《私と夫は25年ぶりに、もう一度恋愛やり直そうと思う!》
と、一人で盛り上がったり、
《私は夫の日だまり的愛情で生きてくよ》
と、自嘲気味だったり、
《やっぱり、青い鳥はお家にいるってことなんだよね》
と、ホスト君との一夜を暗に悔いてみたり。

シュンはそんな私をずっと案じていたらしい。

《今度またゆっくり、ミオコの幸せな話を聞かせてもらわなきゃね》
《遠慮なんかしないで、いつでも呼び出してくれよ》

優しいシュンはいつもそう言ってくれる。
けど、そう言ってもらえることに、あぐらかかないようにしよう。
そう思っていた。

でも、クタクタに疲れた仕事帰り、蒸し暑い夕刻。
人だらけの電車に揺られていると、気持ちが弱くなるときがある。
洗いざらい言いたい気持ちを抑えきれなくなった。

《やっぱりさぁ、どうしたって夫は変わらないみたい》
《確かに前に比べたら、スキンシップしてくれるようになったけど、
でも、そこから先はむずかしいね》
《…ホントはさ、この前会ったとき抱いて欲しかったんだぁ》

指は意思を持って送信キーを押す。
でも次の瞬間、我に返って猛烈に悔いる。

《なんか、ごめん》
《多分、ワタシ更年期の躁鬱症状だね、忘れて》
《さっきのメール共々、速やかに削除して下さいな》

でも、シュンはすぐにメールを返してくれる。

《そうか、やっぱり全然解決してなかったんだね》
《なんとなくそうじゃないかと思ってたのが、当たっちゃった》
《この前会った後のミオコのメールからは、空元気しか感じられなかったし》

隣にいるかのように、シュンがあたたかく話しかけてくれる。

携帯を握りしめたまんま泣いた。
優しい言葉のひとつひとつに、こらえ続けてきた気持ちがあふれだす。

《なんかかつてないくらい、私はヤバいんだ》
《身体も気持ちも、もう自分で制御出来ない》
《私に性欲さえなかったらこんなに苦しまなくてすむのに、
いったいどうしたらいい?》

吐き出し始めた言葉は、止まることを知らない。

《この前他の人としてみたけど、歪んだ憧れや罪悪感は消えない》
《49歳にもなって、セックスにこんな気持ちしか持てないのなんて、嫌なんだ》
《だからね、本当はセックスは素敵なモノなんだよって、教えてほしい》

途中駅で下車して、ベンチで泣きながらメールをした。
通り過ぎる人達が怪訝そうに見る。

《お願いだから、一度でいいから私を抱いて》
《そして、私の身体を覚えていてほしい》

シュンの返事が来る。

《抱いてほしいなら抱いてあげるし、
イカせてほしいならイカせてあげる、なんてね》
《でも、ゴメン。すぐにでも会いにいきたいけど、
お盆前にかたずけなきゃならない仕事が溜まってる》
《お盆明けには会えるから、大丈夫?》

《ありがとう。大丈夫》

私は返事をする。

とうとう言ってしまった。
でも、今度こそ私は救われる。
私を夫より長く知っていてくれるシュンに、一度だけ抱いてもらって、
そしたら後は悔いなく生きてけるに違いない。
そして、この夏の狂ったような気持ちにも決着がつけられる。

一ヶ月近くシュンに言えなかった言葉を
長い間、誰にも吐き出せなかった気持ちを、
やっと出せた安堵感で、私は長いため息をついた。

その日から、私はシュンに会える日を指折り数えた。
まるでその日がくれば、自分が生まれ変われると、固く信じているかのように。

気持ちは本当に久しぶりに、凪のような状態だった。
私は娘の学校がらみの用事やら、義母の一周忌やらを、こなしていった。

けど、その日が近づくにつれて、またもや気持ちがざわつき始める。

この選択は本当に正しいの?
見も知らないホスト君とセックスするのとは、訳が違う。

そして、
夫とは、本当にもうセックス出来ないの?
私の歩みよりが足りないだけなのかもしれない。

少しづつだけど、夫は変わってきてくれている。
もしも、もっとゆっくり時間をかけたら、
いつかは夫ともう一度触れ合えるかもしれない。

そう考えると、思いは急速に傾いていく。


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015-不毛。

いつになく毎日、気持ちがアップダウンしてた。
よせばいいのにそんなときに限って、私は夫を攻撃したくなる。

「ねぇ、私が他の人としたらどう思う?」

蒸し暑くて、昼間の疲れも良く抜けていなかった晩。
アルコールの回りも、いつになく早かった。
夫は休みで、録りためたなにかの番組を楽しげに観ていた。

そして、いつものように何も言わず、少しさびしげな顔をする。

今まで何十回も繰り返されてる、不毛なやり取り。
それでも、たまに口に出さずにはいられなくなる。
もともと無口な夫は、私と争いにならない一番の方法を良く知っている。

でも、知っていても聞かずにはいられないときがある。
たとえ、そのたび切なくなるのがわかっていても。

《嫌だ》
そう答えられても、夫の理不尽さに無性に腹が立つに決まってる。
じゃあ、一生このまんまでいろ、ってことだよね、と絶望する。
一人でオナニーして我慢しろってわけね、と暴れたくなる。

《いいよ》
と言われたら、どうしていいか混乱する。
世界中で一番好きな男にそんなこと言われたら、どうしたらいい?

でも、その夜はこんなふうに言って欲しかった。

『身勝手だけど誰ともしてほしくない』
『でもセックス出来ない分、ちゃんとキスして抱きしめるから』
それが、多分その日の私が求めてた正解。

ホスト君としてしまったことで、気持ちの揺れ幅はいつもよりさらに大きかった。

『私、他の男とセックスしたよ』
『あなたが抱いてくれないから、お金出して抱いてもらった』
『けど、昔みたいに満ち足りた気持ちにはならなかったよ』
もちろん、口には出せない。

この前の夏祭りの一件のあと、夫は謝ってくれた。
ただし、自分からじゃないけどね。
以前よりは、スキンシップをこころがけてくれるようになった。
頭をなでる、手を握る、肩を抱く、時折抱きしめる。

けど、だけど。
私が求めているのは、やっぱりそれじゃあないんだよ。

裸になって、抱きあいながら、セックスにつながるキスをして。
愛おしく相手の身体のあちこちに触って、、最後にひとつになりたい。
私の望みはそれだけなの。
他にはなんにもいらないの。

好きな人とセックスしたいと思うのは、いけないことなの?
何千回、何万回も心の中で叫んだ言葉。

でも、私がため息ついてその場を離れれば、話し合いはそれで終了。
夫の目は、またテレビ画面に戻る。

まずいな、私。
なんかあんまりいい精神状態じゃないな。
自分が一番よくわかってる

夜更け、夫が出かけたあとに、携帯のメモ帳に苛立つ思いを打ち込み続ける。
気がつくと左手が痺れてて、二時間が過ぎていたこともあった。

そんななか、生理がきた。
あの、ドロッとしたものを感じた途端、
お腹の底から猛烈な怒りが込み上げてきた。

初めての感情だった。
こんなこと、もう40年近く付き合っているのに。
子宮からの経血と、頭の芯からの怒りが一緒になって出てきた。

なんでこんなもんがくるの?
私は女でもなんでもないのに。
お願いだから早くあがってほしい、一日も早く。
そしたら、今よりは少しは楽になれるだろうに。
涙が出た。

やっぱり、ホスト君じゃあ、奥底までは解決されてないんだな。
愛情でも、友情でも、同情でも、私になんらかの情を持った人。
夫が絶望的なら、誰?

やっぱりシュンしかいない。


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014-後味。

照明を落とした店、夜道、ホテル。
考えてみると、薄暗いところばかりにいた私達は、
駅が近づいて改めてお互いの顔を見る。

急に気恥ずかしくなる。
マサトさんも同じだったらしい。
「じゃあ、またね」
照れ臭そうに手を振って雑踏に消えていく。

ありがとう。

9歳も年上の、18年もしてない女を、抱いてくれてありがとう。

この夜の気持ちは一生忘れない。

〈私はもう、18年してない女じゃなくなったよ〉

大声上げて、みんなに告げたかった。
童貞でなくなった男の人も、こんな気分なのかもしれない。

道行く人の私を見る目も、変わったような気さえする。
ほんの数時間前までは、夫に18年触ってもらえなかった、
セックスレスで49歳のさえない女。

〈でも私、さっきしてきたよ〉
〈夫じゃないけどセックスしてきたよ〉
〈見て見て〉

胸を張って歩ける。
顔を上げられる。
私はこんなにもセックスレスにしばられてたんだ。

なんでもないふりをして、普通に生活してたけど。
妻も母親も会社員も、当たり前にやってきたけど。
けど、こんなにも負い目を感じてたんだ。

生まれ変わった。
呪縛がとけた。
もうカタワじゃないんだよ。

方法はほめられたもんじゃないけど、これでもう悩まなくてすむ。

夜も自分を慰めることはなく、一度も目覚めず朝まで眠り続けた。
翌朝、いつものように朝食をとる。

おいしい。
ちゃんとものの味がする。
味噌汁も、白いご飯も、昨日までとまるで違う味がする。

確かに、この夏の暑さで食欲もほとんどなかった。
サンドイッチや蕎麦を、かろうじてなんとか食べていた。
でも、それだけじゃなかったんだ。
この夏、私は味覚も失ってたんだ。

マサトさんにもお礼のメールを送る。
時間をおかずに返事が来た。

《昨日はありがとうございました》
《ミオコさんもオナニーばっかりしてないで、また声かけて》
《友達とか紹介してもらえれば、安くしとくよ》

開いた瞬間、削除した。

そういえば、出張ホストのサイト登録料がばかにならないって言ってた。
借金返すために始めた仕事なら、直接客とるほうがいいよな。

まぁ、いいか。
怒りはあったけど、こんなもんだろうな、と言い聞かせる。

でも、私は人生最後のセックスと思っていたのに、ケチついちゃった。

こんなことなら、あの時シュンに勇気出して言えばよかった。
私を知らない人じゃなく、私を深く知っている人とすればよかった。

夜、くさくさして久しぶりにタカコに電話してみた。
遠くて会うのはなかなか叶わないけど、高校時代からの気心許せる友人。
バツイチ、子供3人、きっぷが良くてノリもいい。

最近の夏祭りの一件から、ホスト君のことまで、洗いざらい話す。
さばけた彼女には、オナニーの話だって出来る。

「だいたいね、女抱いていい思いして借金返そうだなんて、甘いってんだよ」
相変わらず歯切れが良くて、小気味いい。
お互いグラスをカラカラさせて、遠距離飲み会。

シュンの話もしてみた。
そういえば、タカコは20代の頃にシュンと付き合ってたっけ。

「シュン君は優しいよ。なんかあるといつでもすぐに駆け付けてくれてたなぁ」
「うん、今もホントに優しい。言葉選んで、あったかいメールくれた」
「シュン君とミオコならいいじゃない。お互い家庭大切にしてるし」

タカコの言葉に少し心が動く。

最後にタカコはこう言って電話を切る。
「今度ミオコんちに、大人のおもちゃ箱いっぱい詰めて送ったげる」

笑った。
友達って、ありがたい。


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013-ホテル。

〈平日の8時過ぎなのに、満室多いんだぁ〉
ブランクありすぎの私は、キョロキョロして見てまわった。

入ったのは、笑っちゃうくらい高い部屋。
〈18年ぶりにセックスするんだし、パーッといってもいいじゃない〉
そんな気持ちもあった。

マサトさんがバスタブにお湯をはる。
テラスみたいなところに、大きなジャグジーバス。

「ミオコさん、一緒に入ろ」
先に入ったマサトさんが、私を呼ぶ。
意を決して服を脱ぐ。

ほんの数時間前に会ったばかりの、年下のホスト君。
でも、何週間も悩んで考えて、自分で決めたこと。

バスタブの中で向かい合う。

キスされる。
唇はふっくらしていて気持ちいい。

乳首を触られる。
身体がギュッと固まる。

マサトさんの手が、私の身体のあちこちを這う。
長い間、誰にも触られなかった部分にも。
思わず声が漏れる。

お金を払って、今夜だけ私を抱いてくれる人。

私は身体のむきやら形やら、あれこれ変えられて、
長い長い間、、マサトさんに刺され続けた。

〈セックスって、こんな感じだったっけなぁ?〉
〈これが、ずっと欲してたことなのかなぁ?〉

遠い記憶が、少しだけ甦ってくる。

夫とも、出会った頃は夢中になってしてたっけ。
彼のアパートに泊まった晩は、面白がって回数数えたこともあった。
ハタチだった彼は、もちろんそんなに経験もないけど、
ただ一生懸命、私を愛してくれた。

イクとか、イカないとか、そんなことは良くわからなかった。
けど、一番好きな人と裸でぺったりくっついて、
お互いの身体がつながってるだけで、幸せだった。

私の上で彼が果てて、満足そうに体重預けてくれる瞬間が
とてつもなく幸せだったんだ。

〈セックスって、好きな人とするもんなんだな〉

こんな歳になって、お馬鹿さんの私は気づく。
こんな手段を使って初めて。
でも、どれもこれも、してみなかったらわからなかったことだらけだ。

そんな私の気持ちが伝わってしまったのか、マサトさんがすまなそうに言う。
「ゴメン、なんかダメになっちゃった…」
「…ううん、私も久しぶり過ぎて」
「でもミオコさん、イカなかったよね」

プロの意地もあるのか、マサトさんはこだわる。
けど、持ってるすべてのテクニックで、
私を悦ばそうとしてくれた気持ちは、よおく伝わってきたよ。

「だけど、すごく気持ちよかった。ありがとう」
そう言うと、安心したようににっこり笑う。
なんか憎めない人だ。

「でも49歳にみえないね、身体すごくきれい」
えっ?ホントに?
そういえば、セックスの最中、何回か言ってくれてたっけ。
ホントにきれいな身体って。

急に嬉しくなる。
「ありがとう、今まで言われたことなかった」

私は自分の身体にコンプレックス以外、感じたことはなかったから。
ガリガリで、胸もお尻もペッタンコだし。
だから、浮気をする勇気も出なかったのに。
お世辞でもなんでも、嬉しかった。

「ホントはさ、他に好きなコいたんだ」
「でも、遊びまくってて、今の女房を妊娠させちゃって」
「向こうの親に怒鳴りこまれて結婚して」
腕枕しながら、マサトさんがぼそぼそ話しはじめる。

「好きだった彼女は実家に帰っちゃって」
「でもさ、何年か前に彼女の地元に出張したとき、連絡とって」
「そしたら、まだ独身で、一緒になりたかったって泣かれてさ」

そうかぁ、うまくいかないね。

「初めて抱きあって、俺も泣いちゃった」

切ないね。
「マサトさん、いつかその彼女と一緒になれたらいいのにね」
私は本心からそう言った。

それから、私達は時間がくるまで、ずっと話し続けた。
こんなふうに裸のまんま、今日会ったホスト君の思い出話聞く私って…。
心の中で、一人苦笑した。


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012-タイミング。

娘のお泊りの日を、マサトさんに会う日に決めた。
半分賭けのような気持ちで。
この日がダメだったら、神様が反対してるってことで。

私は神様を信じてる。
もちろん、特定の宗教ということじゃなくて。
高いところから、いつも私達を俯瞰してくれてる神様。
人生が良い流れになるように、見守ってくれてる神様。

だから、日程合わなかったら、それは神様がその流れを止めようとしてくれてるってこと。

まぁ、こじつけと言われるかもしれないけど。

メールをしてみた。
希望の日時と場所、一緒にお酒でも飲んで話を聞いてほしい、と。

返事はすぐ来た。
その日、その場所、大丈夫とのこと。

〈会ってみろってことだね〉

文章もキチンとしてて、良い感じだった。

続けて写真も来た。
《あぁ、この人ならいいかも》
一目みて、そう思った。

誰かとセックスしないと死んじゃう病は、ますます悪化している。

無茶苦茶なことやろうとしてるのはわかってる。
道徳的じゃないのだって、百も承知してる。

でも、一回セックスして、こういうもんだったんだなぁと納得したい。
そう、たった一度、誰かに抱いてもらえれば、私はおとなしくなる。

会うまでに何回もメールのやりとりをした。

今だから思うけど、会うまでのこの期間が一番楽しかった。
マサトさんは期間限定の恋人になった。
相手は仕事だとわかっていても、他愛ないやりとりに心が躍りまくる。
待ち合わせの日を指折り数えた。

そう、携帯メールが普及した頃、私達の世代は30代の後半に差し掛かってたし。
こんなふうにメールでドキドキするなんて、実は初めてなんだ。

夫とのメールなんて連絡事項だけだし。
洗濯物取りこんどいて、とか、卵と牛乳買ってきて、とかね。

そして、カラッと晴れた夏の夜、私はマサトさんに会った。
中肉中背、チュートリアルの徳井君に少しだけ似ていた。

〈写真とはちょっと違う感じ?〉
〈でも、写真より真面目そうな感じ?〉

マサトさんが私の緊張をほぐすように言う。
「手つなぐ?」
「…うん」
歩き始めてつないだ手にビックリした。
〈手、小さいんだ〉

おかしなことに、今でもそれが一番印象に残ってる。

夫の手は、大きくて骨太でゴツゴツしている。
当たり前なんだけど、夫とはまるで別の手をもった人なんだなぁ。
私は長い間、夫以外の男の人の手を知らなかったんだ。

予約しておいた店に入り、私は夫との出会いから今にいたるまでを話す。
彼はなかなか聞き上手で、声も耳に心地好かった。

彼自身は、既婚でお子さんが一人。
奥さんは浮気をしているようで、あまりうまくいっていないらしい。
ホストは始めて、まだ数ヶ月。
ふうむ…。

意を決して、セックスレス歴18年を打ち明けた。
でも、マサトさんは別段驚かない。
「お客さんに、旦那さんと22年してないって人いるよ」
「22年?」
「モデルみたいに綺麗な人なんだけど、荒れて出会い系とかで片っ端からして、
身も心もズタズタになっちゃったらしい」
「で、もうセックスはしたくないって、俺は一緒に飯食って話聞くだけ」

あぁ、私とおんなじ思いしている人、やっぱりいるんだなぁ。

一通り話すと、彼が時計を見る。
「じゃあ、行こうか」

そっか、やっぱり今日行くんだね。
私は腹をくくった。


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