母と娘といつも通りの夕食。
夫は深夜の仕事に備えて寝ていた。
食はあまり進まず、かたずけて台所の丸椅子に腰掛けていた。
突然、息が出来なくなった。
何が起きたか、わからないまま、ゼイゼイと息が荒くなる。
苦しい。
床をはいながら、居間でTVを見ている母と娘に助けを求める。
慌て駆け寄ってきて、背中をさするられる。
でも、呼吸は荒くなる一方だ。
救急車を呼ぶらしい。
母が言っている。
「出来ればサイレンはならさないで。えっ?出来ない?」
娘がぶちキレて叫んでいる。
「そんなことどうでもいいでしょ」
〈こんな時でも、世間体かぁ〉
意識朦朧としながらぼんやり思った。
顔全体がしびれて、どんどん麻痺してゆく。
うまく口がきけない。
騒ぎで夫も部屋から出てきたようだ。
生まれて初めて、救急車に乗る。
名前やら、歳やら聞かれた気がする。
夫は傍らで私の手を握りながら、なんか言っている。
今までにみたことのないような顔をして、私を見つめている。
母は後から車で来るらしい。
必ず連絡するから、家で待ってて、娘に叫んでる。
アサミ、ゴメン。
目の前でこんなになっちゃってゴメン。
くたびれたグレーのTシャツに、はき古したデニムのショートパンツ。
こんな格好で死ぬのは嫌だなぁ、とか考えていた。
近くの総合病院に運ばれた。
訳がわからないうちに、血液検査とCTスキャンをした。
呼吸は大分戻ってきて、痺れも治ってきていた。
若い医者がベッドの脇に立って言う。
「血液もCTも異常は見られません」
「ストレス性の過換気症候群だと思います」
知っている。
過呼吸ってヤツ。
紙袋とかで、直るヤツ。
「簡単に言うと、二酸化炭素を吐きすぎてしまうので」
「袋をあてて、ゆっくり戻してあげるとおさまります」
「初めてだとびっくりされて、救急搬送されてくる方多いですよ」
私の血は《ストレス》という言葉に、逆流した。
昨日以上に、抑えようのない怒りが噴き出してきた。
たいしたことでなかった安堵ではない、とにかく怒りだけが湧きあがってきた。
病院を出るなり、また夫を殴った。
道端で暴れまくった。
端から見たら、気のふれた人にしか見えなかったろう。
けど、そんなことはどうでも良かった。
〈アンタのせいでこんなになっちゃったじゃない〉
〈私の心も身体もぶっこわれちゃったじゃない〉
〈どうしてくれんのよ〉
〈こんなことなら、シュンとすれば良かったんだ〉
頭の中でそんな気持ちがぐじゃぐじゃになって交錯する。
「私を抱いてよ」
地面にべったり座り込んで、泣きながら訴えた。
半分叫んでいたかもしれない。
「わかった」
「今から行こう」
その日の夜。
一旦家に帰ってから。
私達は車でホテルに行った。