今年もあと残すところ、2週間あまりとなってしまった。
このブログのことはいつも頭の隅にあった。
いただいたコメントにお返事出来ないことも、ずっとずっと気掛かりだった。
やらなくてはならない宿題を、毎日先延ばしにしてる後ろめたさ。
本当にごめんなさい。
今年のうちに、短くてもいいから、なにか書かないと。
そう思って。
夏からいろいろなことがあった。
一番は、夫が精巣腫瘍という病気とわかり、手術をしたこと。
ひらたくいうと、睾丸の癌。
ダチョウの卵くらいに肥大し、歩くのにも支障をきたすようになってしまったフクロの部分を、半分とった。
幸い、大事には至らなかったし、経過も良好だ。
だけど。
だけど。
私は今回のことで、夫という人間に対する気持ちが変わった。
一緒に買い物に行った帰り道、歩きながら
「俺、癌なんだ」
とサラっと言われたときは、一瞬わけがわからなかった。
「ちょっと待ってよ」
って感じ。
病院に行ってたのは知ってたけど、腰痛で整形外科にかかってるとばかり思っていた。
本人いわく、いよいよ歩くのに邪魔だから、検査してもらった、らしい。
で、陽性。
「いつから?」
当然聞く。
「ん~と、3,4年前からかな」
こともなげに言う。
なんだろう。
怒り。
それしか言えない。
四半世紀、夫を見てきた私にはよくわかる。
この人は面倒だっただけ。
病院に行ったり、検査をしたり。
それが億劫で、今までほったらかしにしてただけ。
万事にそういうところがある人。
だけど、悪性で治療に時間やお金がかかったり。
最悪の場合、家族を残して死ぬかもしれない。
そんなことは考えなかったのかな?
8月の上旬に慌ただしく入院し、翌日に手術をした。
取り除かれた腫瘍は大きくて、縦10cm、横15cmくらいのレバーみたいだった。
内股の両側は、長い間こすれていたせいで黒ずんでて。
「奥さんに聞こうと思ってたんですけど、これ前からですか?」
執刀してくれた先生が悪げなく聞く。
知らないんです。
こんなになってるのを知ってたら、もっと早くに病院来てました。
20年近くもロクに見てないし、触ってもないから。
夫婦なんだけど、私は夫の身体を知らないんです。
こう言いたかったけど、苦笑いして適当に返す。
考えた。
たくさん。
もしも、セックスのある夫婦なら、もっともっと早くに気づいたろうな。
セックスはなくても、せめて一緒にお風呂入ったり、一緒に寝たりしてたら。
でも、どれもこれも、長い間願ってもかなわなかったことばかりだ。
夫が入院した日の夜。
私はユウヤ君に会った。
ユウヤ君は今日はやめようかと言ってくれたけど、
二人で休みを合わせた日だったし、どうしても会いたかった。
行きつけの居酒屋で飲んで、ホテルに行った。
翌日、夫が手術している一時間ほどの間も、一緒に昼食をとった。
病院を出てからメールをやり取りして、ユウヤ君の車に乗った。
「重いものとか買いなよ」
母親が車を持っていったので、今、我が家には車がない。
重たいものとか、ちょっとずつしか買えないんだよね。
そうこぼしてたことを覚えていてくれる。
スーパーに行って、ペットボトルや洗剤の詰め替えを買い込んだ。
その夜。
長かった一日を振り返って、私が思い出したのはユウヤ君の笑顔だった。
家の前まで送りとどけてくれて。
バイバイ、って手を振ろうとしたけど、両手に下げたスーパーの袋が重くて。
そんな私を見ながら、可笑しそうに笑って車を出した、彼の笑顔だった。
手術を終え、点滴をし、酸素マスクをし、カテーテルをつけて、病室に戻ってきた夫の姿ではなく。
あぁ、私の気持ちはこうなんだなぁ。
私の気持ちはこんなふうになってしまったんだなぁ。
そう思った。
世界で一番好きな男はユウヤになっちゃったんだな。
24歳で出会ったときから、私は夫が大好きだった。
指一本触れてもらえなくても、夫の眼差しは、いつも冬の日差しみたいにあったかかった。
「遠赤外線みたい人だから」
笑って友達にも言っていた。
夫が出かけるときは、角曲がって姿が見えなくなるまで、手を振ってた。
セックスがないだけで、夫が私を大切に思ってくれるのは、他ならぬ私が一番良くわかってた。
優しい夫。
素直な娘。
私は幸せだと思っていた。
有り難いな。
そう思ってた。
でも、壊れちゃった。
過呼吸になって。
雄叫びあげて、殴り掛かって。
そして今、私はこう思ってる。
ユウヤのそばで死にたいな。
いつの頃からだろう。
夫の親がたてたお墓には入りたくないな、と思いはじめたのは。
ここから遠く離れた、実質2年足らずしか暮らさなかった場所。
毎日、お年寄りと接して、死にも身近になっているからかもしれない。
この前も、夜勤中に誰よりも元気だったおばあさんが、心筋梗塞で亡くなった。
なんの兆候もなかったのに。
AED使って、必死に心臓マッサージしたけど、命が尽きていくのを止められなかった。
人はいつか死ぬ。
死なない人間はいない。
そんな当たり前のことだけど、以前より、いっそう考えるようになった。
かなわない夢だけど。
死ぬときに、ユウヤがそばにいてくれたらいいな。
ユウヤが手を握っていてくれて、
「来世、またね」
笑ってそう言って死ねたらいいな。
日々の忙しさにかまけて、なかなか実行していないけど、
来年はエンディングノートを書こう。
多分、法律上はダメだけど。
遺骨は、いつもユウヤ君と待ち合わせしてた、ファッションビルの前にある、大きな木の下に撒いてほしいな。
サカリのついたワンコみたいな人だなぁ。
何度か書いたけど、最初の頃のユウヤ君はそんな存在だった。
けど、出会って3年目に入って。
何度も何度も会って、たくさんたくさん話して。
いっぱいいっぱい抱き合って。
私は彼のすべてが好きだ。
以前にも書いたかもしれないけど、
「出会ったその日に身体を重ねることもあり」
「信頼や心の結びつきは、二人に限っては後からついてきそうです」
って占いに書いてあって。
今さらながら、当たってるなぁ、としみじみ納得している。
たいがい酔っ払ってる二人だから、詳しくは思い出せないんだけど、
いつだったか、私が切り出した話に、ユウヤ君が応えてくれて。
「あぁ、そうなんだよ」
「私も本当にそう思うんだよ」と、ものすごく強い共感を覚えたことがあった。
内容は忘れちゃったけど。
あとあとになっても、そのとき強く共鳴しあったことが残ってた。
「そうなんだよ」
「私も本当にそう思うんだよ」
抽出されたみたいに、その気持ちだけが残って。
なにかの話をしていて、こんなにも他人と共鳴しあえたのが嬉しかったのか、何日も私の中にあった。
うまく言い表せないけど、ユウヤ君と話していると、
「そうそう」
「わかるわかる」
「私もそう思う」
いつもそんな気持ちになる。
急な雨が降り出した夕方。
折りたたみ傘買っただけなのに、嬉しそうにレジの前でひろげちゃう子供みたいなユウヤ。
二人で出かけた帰りの電車。
疲れたから座って爆睡する、って言ってたのに、
赤ちゃん抱いたお母さんが乗ってきたら、黙って席を譲るユウヤ。
ぶっきらぼう、俺様、意地悪、言葉足らず、いろんなこと知らない、格好つけ、お調子者、エロい。
でも、素直。
人間がまっすぐ。
大好き。
2年あまりの間に、ゆうに100回以上は会ったけど、
月に一回しか会えないときがあったなんて、今じゃありえない。
会ったばっかりなのに、またすぐに会いたくなる。
だけど、めちゃくちゃ矛盾しているかもしれないけど、
私は、家族のために一生懸命に働いてる彼が好き。
お子さんたちのことを、愛おしそうに語る彼を見てるのが好き。
そして、多分ユウヤ君も、家族のために家事をこなしたり、娘と仲良しな私のことが好きなんだと思う。
お互いに、結婚して21年。
連れ合いに対する不満はいろいろあるけど、
嫌いじゃないんだよ、って気持ちは共通してる。
夫に対する気持ちも、例えば、寒くなってきたから、ユニクロでヒートテックの下着買ってこなきゃ、とか。
今週はしんどそうだったから、奮発して焼肉にしてあげよ、とか。
そんな感じ。
多分、ユウヤ君も連れ合いに対して、そんな気持ちじゃないかと思う。
なんかまとまらないけど。
すべてを捨てて一緒なりたいとか、そんな切羽詰まる感じではなく。
ただ、この先も、なるべく長く一緒にいられたらいいな、と思ってる。
それぞれの子供が巣立っていったあと、また二人の関わり方が変わってゆくかもしれないけど。
ただ今は、ユウヤ君は世界で一番大好きな男。
私が出会えた最高の男。
ユウヤと過ごすひとときが、私の活力源になる。
ユウヤがくれる言葉が、私を元気にして、また明日もがんばろうと思わせてくれる。
今はそれでいい。
未来はわからないからいい。
2013年、今年の漢字はあれこれ考えて「展」。
母親が出ていき、娘の彼氏が加わったことで、家族の形も新たな展開をみせ。
夫の手術を機に、私の気持ちも思いがけず一気に進展し。
仕事はまもなく2年になり、悩みながら自分なりにひとつずつ乗り越えて、
最近は、少し先のことを展望できるようになった。
限りある人生を大切に生きよう。
毎日、毎日を愛おしもう。
縁あって、このブログを読んで下さる皆様。
どうか、来年も笑顔に満ちた一年でありますように。
家族や友人や好きな人と、いっぱい笑いあえる一年でありますように。
心から祈っています。
よいお年を。