どこにそんな力が残ってたかと思うくらいの勢いで、
私は立ち上がって夫につかみかかっていった。
左手の拳で夫の背中や脇腹を殴る。
右も握りしめて顎を叩く。
体格差もなにも気にならなかった。
眉を吊り上げ、目を見開いて。
口を開いて、歯を剥き出して。
肩、腕、背中、憎しみの力を込めて噛みまくる。
気がふれたケモノのように。
止められなかった。
母は突然の私の様子に恐れをなして、娘を起こして出ていったらしい。
その気配を感じて、私は誰はばかることなく暴れた。
雄叫びあげながら、泣きながら、私は夫を攻撃し続けた。
夫は何も言わず、されるがままになっていた。
そして、私の両手首をつかんで抱き寄せる。
暴れる動物をなだめるように、背中をさすりながらこう言う。
「わかった、ホテル行こう」
「もう少し、あと少しだから」
でも、その言葉は火に油をそそぐ。
「それが出来るなら、なんでもっと早くに言ってくれなかったの?」
「なぜ、こんなになるまで言ってくれなかったの?」
「私はさんざん言ったよね、18年も」
「抱いて、せめて触れてって」
「大好きで、大好きでたまらない貴方と触れ合いたくて」
「でも我慢して」
「私の身体が欠陥品だからしてもらえないんだ、と言い聞かせて」
「それこそ何百回も自分に言い聞かせて、納得させて」
「そしたら、そしたらこんなになっちゃったじゃない?」
顔中ぐしゃぐしゃになりながら、泣き続けた。
けど、言いたいことをマシンガンのように吐いたら、体中の力が少し抜けた。
18年言えなかった思いを全部吐き出して、楽にもなっていた。
このまま抱いて欲しい。
一緒、そんな気持ちも頭をかすめた。
でも、こんなぐちゃぐちゃな顔じゃあ嫌だ。
もっと綺麗にお化粧もして。
新しいワンピースを着て、待ち合わせして。
やっと世界中で一番好きな人と抱き合えるのに。
頭が混乱しすぎて、何がしたいのかすら、良くわからなくなっていた。
夫のTシャツを脱がせた。
私も脱ぎすてた。
両手を夫の身体にまわして、顔を胸に埋めた。
上半身だけ裸のまんま、夫に抱き着いて私はいつまでも泣き続けた。
夫の匂いが、夫の体温が心地好かった。
こんなに泣いたのは、いくつの時以来だろう。
顔が変わるほど泣きつかれて、私はやっと眠りについた。
夜は気まずい夕飯の時間だった。
母は腫れ物に触るかのように黙ってるし。
普段、無口な娘はやけに饒舌だし。
夫は、そんな空気をただそうといつになく気を使ってるし。
私が家族のバランス壊したんだなぁ。
昨日まで、なんとかやってきたつもりだったのになぁ。
でも、どこか自暴自棄な気持ちもあった。
せいせいしていた。
母はこの家の王様だったから。
遠慮とか、気遣いとか、おおよそ無縁な人だったから。
夫とも正面きって向き合っていなかったかもしれない。
出会って25年もたつ夫婦なのに、遠慮があった。
私の母と同居してもらってるから?
深夜の仕事が大変そうだったから?
翌日、大丈夫そうなので仕事に行ってみた。
でも、昨日と全く同じ状態で、いくらもしないうちに立てなくなった。
二日も続けて早退なんて、今までしたことない。
情けないし、何より皆に申し訳ない。
昨日同様、迎えに来てもらうよう電話を入れる。
車の中で母に切り出す。
言葉を選んで。
「更年期かもしれないし、自律神経かもしれない」
「ただ、少し前から家に近づくと頭がモヤモヤする」
「悪いけど、今日もちょっとゆっくり寝たいんだ」
さすがにその日は、母は私を送ると、
その足でどこかに出かけてくれた。
お昼過ぎ、夫がいる。
顔を見ただけで気が抜けて、涙が出てくる。
「私はいったいどうしちゃったんだろ?」
「今日も早退して、またみんなに迷惑かけちゃった」
「私が家族をぶっこわしたかもしれない」
「みんな、私のせいだ」
昨日はせいせいしていたのに、今日はただただ自分を責める。
夫が私の目を見て言う。
「お前はなんにも悪くない」
また涙が出てきた。
ハラハラ、という言葉がピッタリの涙がいくらでも溢れてくる。
泣いていいのが無性に気持ち良かった。
夫は余計なことは言わずに、手を握っていてくれる。
癒されてる。
今までにないくらい、気持ちが落ち着く。
でも、母が帰ってきた気配で慌てつないでいた手を離す。
その夜、救急車で運ばれた。
突然、息が出来なくなった。