夫に誘われて、散歩に行った。
ほど良く田舎なこのあたりは、のどかな風景がひろがっている。
川沿いの道を歩きながら、夫が言う。
「この先に、涌き水があるんだ」
へぇ、長年住んでいるのに知らなかった。
なだらかに傾斜した林を下ると、小さな水源があった。
木々の間から木漏れ日がさして、私達を照らす。
きれいな場所だった。
雨の後で、少しぬかるんだ道をゆっくり歩く。
少し遅れる私の気配を察して、夫は必ず立ち止まって振り返ってくれる。
私達はこんなふうに歩調をあわせながら、いつも一緒に歩いてきた。
これだけは間違いない。
そう思った。
夫といる時間は、たとえれば凪みたい。
ただ静かで穏やかで、気持ちが癒される。
一年前のやり取りを思い出す。
「私、他の人としてもいいかな?」
「…だから、いいって言ってんだろ」
あれから私は、セックスする相手探しに夢中になった。
猪突猛進ってのも大袈裟だけど、とにかく必死だった。
当然だけど、夫が出かける時間に帰ってなかったり、
夫が休みの日に出かけていったり。
でも、夫は何ひとつ言わなかった。
そして、聞こうともしなかった。
夫らしかった。
以前、一緒に山に登ったときだったろうか。
夫は私にこう言った。
「俺は自分の人生に100%満足している」
私は、軽く腹がたった。
あなたはそうでも、私には心残りがありすぎる。
「私はそんなふうに思えないな、まだ今は」
でも、今なら言える気がした。
少し前を歩く、夫の背中に向かって。
「私、もう思い残すことないよ」
夫はちょっと振り返って、こう言う。
「そう、良かったね」
セックスしてくれない夫を、恨んだり、なじったり、
挙げく病気になり、暴力もふるった。
けど、今は素直に言える。
セックスの幸せを知らずに死にたくなかった。
それが18年のセックスレスで、私のただひとつの望みだった。
おそらく他人からみたら、馬鹿みたいな話だろう。
友人、出張ホスト、出会い系、
そしてSNSでのいくつかの出会い。
セックス好きの欲求不満な主婦が、男探ししただけのこと。
そんなふうに思われても、まぁ仕方ない。
でも、私にとってはどうしても叶えたかった願いだった。
本当に好きな人とひとつになれる幸せを、もう一度味わいたかった。
どうしても。
そして、かなった。
私と夫は稀なケースだろう。
男でも女でも、もう連れ合いとはしたくない、
もしくは相手を好きでも、セックスが好きでない、
そんな場合、他の人としてもいいと思えるだろうか?
私だって、もしセックスが好きでなくとも、夫が他の人とするのは嫌だ。
想像するだけで堪えられない。
だけど、夫はそうした。
いろんな取り方が出来ると思う。
私が身体に変調をきたすほどおかしくなったから、仕方なかったのか。
もともとが好きでないし、もうそのことで責められずホッとしてるのか。
私が明るくて元気なのが、一番と思ってくれているのか。
確かにセックスレスは、長い間私達の唯一の問題だった。
喧嘩のネタはいつもそこだった。
どんな言い争いも、最後はそこに行きついた。
でももう、それはない。
夫はずるいかもしれない。
セックスという、大切なつながりを放棄した。
自分がしたくないことを、他の男にまかせた。
そんなふうにも言えるかもしれない。
けど、彼は以前よりさらに私に優しくなった。
彼が出来る範囲でのスキンシップを、精一杯するようになった。
私が疲れていたり、へこんでいたりするときは、抱きしめてくれる。
時々甘えたくなくなって、べったりくっつく私を拒まない。
アツシさんや、ユウヤ君と出会ったことで、
改めて客観的に夫を見られるようになった。
私は四半世期以上、本当に夫しか目に入らなかったんだなぁ。
そして、夫と知り合ってからの人生のほうが、長くなってしまった。
50歳ってそんな年齢だ。
夫との恋は、20代のひたむきな恋だった。
親の反対やら遠距離やら、障害が逆にエネルギーだった。
一目惚れした自分の直感を、貫き通したかった。
〈早く一緒になりたいね〉
〈早く二人の子供が欲しいね〉
私の望みはそれだけだった。
そして、想いは実を結んだ。
もしも、夫との間に普通にセックスがあったら、
私は間違いなく、夫に一途だったろう。
たとえ年に一回だとしても、かまわなかった。
そういう人だから仕方ないと、笑って夫をみつめていたろう。
そのくらい、私は夫が好きだから。
くどいようだけど、世界中で一番好きな男だから。
だけど、私は新しい道を歩きはじめた。
自分で扉をこじ開けて。
ユウヤ君に出会った。
そして、大好きな男と、身も心もひとつになる幸せを知った。
今は夫のように、自分の人生に100%満足している、と言い切れる。
20年近いブランクを経てセックスをして、よくわかった。
セックスがどれほど必要だったか。
どんなにか求めていたか。
何も身につけない素のままの自分を、まるごとさらけ出せる幸せ。
繋がってひとつになって、一緒に感じあう幸せ。
肌と肌を密着させて、お互いの体温や肌触りを味わう幸せ。
手足をからませたり、擦り寄ったり、なめあったり。
ちょっとメタボ気味なユウヤ君のお腹を枕にしながらの、とりとめのない話。
みつめて。
触れて。
笑いあって。
言いようのない深い深い安心感が私を満たす。
目を移せば大好きな男がすぐ隣にいてくれるって、なんて幸せなんだろう。
今ならはっきり言える。
私はこんなにも、好きな人に触れたかったんだ。
ユウヤ君が私の願いを叶えてくれた。
だから私の人生は100%になった。
だからもう思い残すことはない。
なあんにも。