050-結婚。⑥

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大人になってからは、だいぶ客観的に見られるようになったけど、
私は喧嘩の絶えない家庭に育った。

父方の祖父母も同居していて、7人家族。
で、この二組の夫婦が笑っちゃううくらいいろんなパターンで喧嘩してた。
夫婦、親子、嫁と舅姑。
この前ちょっと計算してみたら、組み合わせは6通り(笑)
もちろん、一対一がどんどん悪化もしてゆく。
干支で言うと、猪(父)と虎(母)がガップリと四つに組んでいるところに、
犬(祖母)がキャンキャン吠えて、蛇(祖父)がまとわりついてくるみたいな。
口喧嘩はもちろん、暴力沙汰に発展することもままあって。
勇敢な妹とかは、身体を張って止めに入ったりしてた。
今でも覚えてるけど、そんな妹を父親が文鎮で殴ろうとしたことがあって。
私も弟も、半泣きで体当たりしていったこともあった。
でもね、そんな話をしても母親は全然覚えちゃないらしい。

私達兄弟はよくグレなかったと思う、本当に。
鈍かったんだろうか?
子供だから、どこのウチもこんなもんだろうと思ってたんだろうか?
でも、自分のことだけでいっぱいいっぱいな父母の代わりに、
祖父母が孫をひたすら可愛がってくれたから、だろう。
ことに長女の私は、祖父母からたくさんの愛情を注いでもらった。
今の仕事をしてるのも、そんな背景があるかもしれない。

それにしても、子供の目から見ても、なんで一緒になったんだろう?
と思うくらい、仲睦まじさが微塵もない夫婦達だった。
今だから思うけど、こういう子供時代過ごすと、
潜在意識で、ものすごく根強く残るよね。
こういうふうにだけはなりたくない。
自分はもっと幸せな結婚をしよう、って。

やがて、認知を患い長く寝たきりになった祖父に悪態をつきながら、
結局、祖父が亡くなった同じ年に祖母も亡くなり。
そして、二人の一周忌を済ませた後、母は定年退職した父を捨てて、
50年以上住んだ土地を離れることを決心した。
ちょうど、私が一歳になった娘を連れて、実家に帰っていた頃だ。
夫と別れるかどうか、思いあぐねながら、借金返済に昼夜働いていた頃。
母はもう、この家での役割は果たしたと考えたのだろう、
しきりに別れたい、と言い始めていた。
今から考えると、タイミングってあるんだなぁ、とつくづく思うけど。
そんな時、私に条件のいい仕事の話が来て、
住まいも母の兄が提供してくれることになって、
話はどんどん進んでいった。
そして、事情を良く知る親戚の家に少しずつ荷物を預け、
(ちなみに、父方の親戚も協力してくれた)
父の外出を待ってそれは決行された。

便箋じゃあないんだよね、
広告の裏かなにかに一言、
「長い間、お世話になりました」とメモを残し。
母は金使いの荒い、酒癖の悪い、変人の父を捨てた。
残された父も、妻の行った先が義兄のところでは、連絡しにくかったのだろう。
もともとは、気の小さい人間だし。
結局、電話がかかってくることもなかった。
何度か手紙は来てたみたいだけど。
以来父が亡くなるまで、二人は籍を入れたまま、10年あまり別れて暮らした。
で、父の見栄で増改築を繰り返した、かつて7人家族が暮らした家は、
モノを買うのが大好きで、かつ捨てられなくて、片付け能力皆無の父によって、
まぁ、当然だけどゴミ屋敷と化した。

最後の一年くらいかな。
身体も弱り果てた父が病院に入り、もうこの家に帰ってくることはない、
そう判断して、私も兄弟も本当に久しぶりに実家を訪れたときは、
ただただ呆然とした。
テレビで時々見るゴミ屋敷は、こういうモノであったかと。
なんせ、ゴミが地層になってて、土足でしか上がれなかったんだから(笑)
我ながら、本当にすごい経験をしてしまった。

母も最後の数ヶ月は父の面倒をみた。
二人が何を話したか、何を感じたかは知らない。
私も、生きてる父に一度だけ会った。
昔、東映だか大映だかの俳優に応募したという、
見た目だけはダンディだった面影はもちろんなく、
白髪頭の痩せこけた爺さんが横たわってた。

私は、というか私達兄弟は、父に可愛がってもらった記憶がなんにもない。
ただただ好き勝手に、自分のしたいことだけしてきた人だったし。
だから、そんな姿を見ても、亡くなったときも、涙も出なかった。
ごく普通の親なら、私も実家に居続けたかもしれない。
でも孫が可愛くて仕方ないくせに、酔って怒鳴ったり暴れたりする父に、
幼い娘が顔を見ただけで泣くようになった。
私も母と一緒にここを出なくては。
そして、新しい生活が落ち着いた頃に、夫もともに暮らすようになって、
今の家族形態になったというわけ。

両親は絵に描いたような不仲だったけど、
とても良い反面教師になってくれた。
おかげ様で兄弟はみな、夫婦仲がとてもいい。
妹も弟も、ともに子供はいないけど、
連れ合いに先立たれたら大丈夫?と心配になるくらい仲睦まじい。
だけど、弟は同性だからなのだろうか?
『万が一にも、親父みたいな父親になったら嫌だから』
そう言って子供を作らなかった。
もちろん、性格は似ても似つかない優しい奴なんだけど、
トラウマなんだろうな。

私も漠然と、でもしっかりと結婚相手には望んでいた。
穏やか人。
声を荒げたり、暴力振るったりしない人。
お酒は私も好きだから一緒に飲みたいけど、お酒に飲まれない人。
そして夫と一緒になった。
遠赤外線みたいに、いつも私を暖めてくれる人。
本当に芯から優しい人。

だけどね、いつかはわからないけど、
今すぐじゃないのは確かなんだけど、
私も夫といずれ離れて暮らすような気がしている。
両親とは全く違うシチュエーションだけど。
母親とは全く違う気持ちからだけど。
そう遠くない未来、お互いが納得して別々に暮らす道を歩むんじゃないかな。
離婚とか、そういう形ではなく。
自分の母親がたどった道を思うと、最近そんなことを考える。

『ケッコンってナニ?』
答えなんかみつからないけど、私なりに考え続ける。


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050-結婚。⑥ への5件のフィードバック

  1. じゅん のコメント:

    みおさん 世界一大好きだと言っていた、旦那さんへの気持ちに変化があったのですか?

    ケッコンってナニ…? あたしは子供達に対して後悔が一杯。夫婦仲が良い両親のもとで育った子供達は安心して幸せな中で生活していけたんだろうな。

    自分に合った相手と一緒になる。
    難しいね。
    くっつくのが大好きなあたしは、あたしと同じようにくっつくいてるのが大好きな人と一緒になればあんなに寂しい思いしないですんだのかなぁ。
    あたしにとってsexは必要なものだったんだ。
    イクとかイカナイとかじゃなく、ただ好きな人と身体重ねるときの幸福感が欲しかったんだ。
    sexは楽しい!
    sexは心も身体も気持ちいい!

    あのまんまおばあちゃんにならなくって良かった。
    求められる悦びを経験出来て良かった。

    みおさん、ブログ書いてくれてありがとうございます。
    なんだか小説読むように引き込まれていきました。

    年下のオトコはオンナをもっとオンナにしませんか?

    • ミオコ のコメント:

      じゅんさん、コメントありがとうございます。
      なかなかお返事できなくてごめんなさい。

      そうなんですよね。
      このところ、いろんなことがありすぎて。
      正直、夫が世界中で一番好きな男、と言いきってた気持ちが揺らいでいます。
      それを文章にしようとすると、なかなかまとまらなくて。
      暑さを理由にビールばかり飲んでます(笑)

      仲の良い夫婦を見て育った子供が、そのまま幸せになる保証はないみたい。
      友人の一人に、仲の良い両親に育てられ、こういうものだろう、と結婚して、
      結局3回離婚したコもいます。
      じゃんさんは気をしないで、今の幸せを精一杯味わってほしいです。

      でも、お互いセックスが大好き!と声高に言えるようになって、ホントにホントによかったです。
      好きな男にペッタリくっついていられる瞬間って、なににもかえがたい。
      私も彼に会って、忘れてたそんな満ち足りた気持ちを味わってます。

      私達もどこにたどり着くか、今のところ未定ですが、
      そのときの気持ちや状況、ありのままに書いていきます。

      すれ違っても、誰かにふりむいてもらえるほどの容姿でもない、
      50を過ぎたフツーの女な私。
      でも、この恋は人生最後だから、
      一点の悔いもなくまっとうしたいです。

  2. じゅん のコメント:

    人って 最初はほんの小さなことで幸せだったはずなのに、段々ともう少し…もう少しだけ…って欲張りになって行くのかなぁ。
    色々ありますよね。

  3. K のコメント:

    「更年期 酒癖」で辿り着きました

    家族構成やら関係やらが似ていて驚きです
    両親祖父母姉2人の7人家族で末っ子長男です
    父は典型的な底辺土方で粗暴、支配欲が強く女子供に手を上げることをなんとも思わない人で、母はこれまた典型的なキャリアウーマン気質、真面目で正直で少し常識外れな部分がありながらも不正や不当な圧力に屈せず断固抵抗するタイプです
    だからこそ私はこの父から逃れる事は出来ませんでした
    こんな事に負けてられるかと母は意固地になって私を連れて逃げてはくれませんでした
    喧嘩をすれば毎回流血騒ぎ、姉2人は隠れ、小学2年で母の気質を受け継いだ私は反抗し当然ボコボコにされます
    祖父母は自分の子(父)が可愛いからか素知らぬ顔
    DVの発端は、祖母の母に対する嫌がらせを父に相談したことからなんですが
    それ以来私は、年を経るにつれ人間関係を遠くに置き従順な弱い人間になってしまいました
    友人はいても心を許せるわけでもなく、当然結婚なんて考えられません
    女性に対しても過度な期待はせず、当たり障りのないようどっち付かずなふらふらとした関係をまんべんなく続けています
    願望はあっても、頭の中の都合のいい人間関係はこの世に存在しないと思えるのです
    他者に気を遣い、自分を押し殺し、ハメを外さず、真面目に迷惑をかけないことを第一に生きる意味のない人生です
    元気に明るく且つ聰明に装いつつ心の中では距離を開けています
    好きなのか素なのかわからないようにして多くの出会いを棒に振っています
    人を傷付けたくはないですし、私自身も傷付きたくないですから
    私の中には父の遺伝子が入っています
    こればかりは変えようのない事実です
    甥と姪は可愛いですし、存分に愛を注ぎたい対象です
    しかし、それは甥と姪に限られるでしょう
    現在20歳を過ぎたばかりですが、この遺伝子は今の世の中には残せません

    駄文失礼しました

    • ミオコ のコメント:

      Kさん、コメントありがとうございます。
      ずいぶんと遅い返事になってしまい、本当に申し訳ありません。

      父親の存在って、やっぱり同性に色濃く影響するんですね。
      4つ下の弟は穏やかで優しい性格ですが、結婚後も子供を持とうとしませんでした。
      「万が一にも親父みたいな父親になったら嫌だし、遺伝子を残したくない」
      あんたは優しいし、いい父親になるよ、と再三言っても、無駄でした。

      親は選べないんですよね、当たり前だけど。
      特に子供の頃は否応なしに家族の争いごとに巻き込まれて、まともにくらって心身に傷を負って。
      コメントを読みながら、Kさんの痛みがジンジンと伝わってきました。

      けど、今はもう20歳を過ぎていらっしゃるんですよね。
      ちょっと見方を変えると、自分で選んだわけではない親の存在で、自分の人生の可能性を閉ざしてしまうのは、すごくもったいないことかもしれません。
      成人して、これからがKさんの本当の人生のスタートなんだと思います。
      もちろん、育った家庭のなかで培われたベースの部分を変えてゆくのは容易ではないけど、なにか小さなことから、ひとつずつ試してゆくことは、出来るんじゃないでしょうか?

      自分は意味があって生まれた。
      私はいつもそう思っています。
      だから、Kさんの存在が、人を助けたり、癒したり、幸せにしたり。
      それはこれからのことです。
      何と言っても、若いのだから(^_^)v

      本を読むとか(毒になる親とかもオススメ)、カウンセリングしてもらって、胸のうちをさらすのも良いかと思います。
      いずれにしろ、平均年齢まで生きたとしたら、まだまだ人生の楽しくて美味しい部分はまるごと残っています。

      ネット上のことで、お顔もお名前もわからないKさんですが、ちょっとだけご自分の立ち位置を変えて過ごしてほしいです。
      選んだわけでもない親の影響まるかぶりで、人生の楽しみを甘受できないなんて、逆に腹がたちますよね。
      ナニクソ!と払いのけて、前に進んでください。

      偉そうなことばかり書いてしまい、ごめんなさい。
      幸せになってくださいね!
      絶対に(*^o^*)

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